コンテナハウスコラム

四半世紀以上にわたり現場に立ち
研究し続けてきた私たちだから語れる
リアルな“コンテナハウスの深堀り話”です。

更新日:2025.05.20

コンテナハウスのデザイン

読み物

建築は、物理と技術のうえに咲く文学である。

写真は四番町のコンテナカフェ「No.4」_40FEET_containerX4+10FEET_containerX2

ひとつの「建築」をつくるとき、なにが起きているのかを考えてみましょう。建築を建てたい、と思うとき。それは、単なる「屋根と壁のある箱」が欲しいという話ではありません。

静かに過ごせる場所がほしい。家族が安心して眠れる空間がほしい。窓から見える山の稜線を、美しく切り取ってほしい。光と影が、季節とともにゆっくりと移ろっていく、そんなリビングがほしい。そう、私たちが求めるのは「建物」ではなく、「生きていく物語の舞台」なのです。

そしてその舞台をつくる仕事、それが建築設計という営みです。でもこの設計という作業は、ただ感性や感動を頼りにした詩人のような仕事ではありません。それどころか、実に理屈っぽく、精密で、重力や耐震といった厳しい物理の法則に支配された、工学的な領域でもあります。

では、建築とはいったいなんなのでしょうか?感性の芸術なのでしょうか?それとも物理と法律に縛られた、ただの「理屈」なのでしょうか?私たちの考えでは、建築はそのどちらでもあり、どちらでもありません。建築とは、物理学などの技術をベースにした「文学」である。これが、私たちの確信です。

家は、言葉にならない願いをかたちにする

たとえば、ある人がこう言います。「この土地に、小さな平屋を建てたいんです。朝起きたら光が入って、風が抜けて、庭の緑が見えるような、そういう家に」この依頼に対して、設計者がまず考えるのは、夢ではなく「現実」です。その土地の方位、地盤、風の通り道、隣家の位置、法的な建ぺい率と容積率。すべてを一度、冷静に受け止めて、そのうえで「夢」が本当に可能かどうかを判断します。

夢を見る前に、重力がある。美しさを語る前に、構造がある。建築設計とは、そういうものです。けれどそれでもなお、設計者はあきらめません。朝の光が差す角度を知るために太陽高度を調べ、風が抜けるように軒の高さを調整し、庭の緑がきれいに切り取られるように窓の配置と高さを数センチ単位で調整します。

こうして、依頼主の「うまく言葉にならなかった願い」が、図面というかたちになっていくのです。これはまさしく、文学の仕事ではないでしょうか。相手の言葉にならない感情を受け取り、そこに意味と構造を与え、伝わるかたちにしていく。建築とは、モノガタリを書くように図面を引くことでもあるのです。

物理と法規と空想と

けれど、この「文学」は、空中には書けません。設計者が使うキャンバスには、重力があり、法律があり、予算があります。たとえば、コンテナ建築を一つ考えるにしても、そこには以下のような制約が同時に存在します。

•建築基準法上の用途地域による制限

•耐火構造、準耐火構造の仕様義務

•窓の採光面積、換気量の確保

•階高や段差、スロープなどのバリアフリー配慮

•構造計算上の剛性・接合部の処理

•荷重・風荷重・地震力への対応

•排水管の勾配、通気、保温措置

どうでしょう、まるで理科と数学と法律の総合問題集のようです。でも、ここで大切なのは、この技術や物理の知識が「抑圧」ではないということ。むしろ、それらは「詩を支えるルール」なのです。自由に飛び回るためには、滑走路が必要です。重力があるから、飛ぶことには意味があるのです。

図面は、物語の設計図である 

「設計図」というと、どこか冷たい、無機質な印象があるかもしれません。けれど、よく考えてみてください。図面とは、ある家族の未来の時間の流れを、平面と断面で描いた「物語の地図」なのです。この玄関から、朝、子どもがランドセルを背負って出ていく。この窓から、夕方の光が斜めに差し込んで、台所の壁がやさしく照らされる。この階段の手すりには、歳を取った父がそっと手を添える日が来るかもしれない。

建築は、未来の人生を見つめながら描かれるもの。それはまるで、登場人物のいない小説のようです。図面はまだ「誰もいない世界」。でも、そこには無限の時間が宿っている。そんな空間の“余白”を設計するということは、まさに文学的な想像力と構造的な技術が交差する地点に立つことなのです。

建築家は、エンジニアであり詩人である

私たちは、設計という営みを、つねにこの両義性で捉えています。エンジニアであること。構造計算ができること。法律に詳しいこと。安全性を守れること。詩人であること。感情の揺らぎを感じ取れること。光の気配に敏感であること。人の夢を、図面にできること。どちらか一方では、空間は成立しません。そしてそのバランスは、設計者だけでなく、施主や施工者とも一緒に共有されてこそ成立します。空間をつくるとは、人と人との感受性を重ね合わせることなのです。

最後に、家を「読む」ということ 

完成した建物には、言葉はありません。でも、その空間に身を置いた人の心には、たしかに何かが響きます。

「この家、なんだか落ち着くね」「朝の光がきれいだね」「なんとなく、風が気持ちいい」それらは、図面には書かれていないけれど、きっと設計者が最初から“書き込んで”いたメッセージなのです。つまり家とは、読むものでもある。建築とは、読むために書かれた、沈黙の文学なのです。

あとがき|文学が建つ場所へ 

コンテナハウスであれ、木造住宅であれ、都市の集合住宅であれ、そのひとつひとつの空間には、「技術の言葉」と「詩の声」が共存しています。私たちが目指しているのは、まさにその「言葉にならない声」を聞き取り、構造という文法に則って、それを“物理のうえに建てる”ことです。

建築とは、詩を支える梁であり、物語が住む壁であり、静かに語りかけてくる窓なのです。

記事の監修者

大屋和彦

大屋和彦

九州大学 芸術工学部卒 芸術工学士
早稲田大学芸術学校 建築都市設計科中退。
建築コンサルタント、アートディレクター、アーティスト、デザイナー。

1995年よりコンテナハウスの研究を開始。以後30年間にわたり、住宅、商業施設、ホテル、福祉施設など300件以上のプロジェクトに携わる。特にホテルをはじめとする宿泊施設型コンテナハウスの設計・施工に圧倒的な実績を誇る。商業施設、住宅分野にも多数の実績があり、コンテナハウス建築業界で幅広く活躍している。