コンテナハウスコラム
四半世紀以上にわたり現場に立ち
研究し続けてきた私たちだから語れる
リアルな“コンテナハウスの深堀り話”です。
更新日:2025.06.24
コンテナハウスの歴史
コンテナハウスの知識(中級)
読み物
「パンドラの箱」と「コンテナ」
もくじ
「パンドラの箱とコンテナ」の現代における「封じられた希望」の建築論
このふたつの「箱」は、古代神話と現代テクノロジーの間で、想像力と現実の狭間を結びます。
「パンドラの箱とコンテナ」の現代における「封じられた希望」の建築論
神話の世界において、「箱」とはただの容れ物ではなかった。それは人間の運命、禁忌、そして未来の象徴だった。ギリシャ神話に登場するパンドラの箱。神々によって作られた最初の女性パンドラが、決して開けてはならないと言われたその箱を開けたとき、そこから飛び出したのは世界のあらゆる災厄だった。病、死、戦争、貧困、嘘── しかし最後に残ったものがひとつだけある。

それは「希望」だった。
この神話の持つ意味は、今日でも私たちの倫理観と建築観に潜在的に影響を与えている。私たちは「何を閉じ込め」「何を解放すべきか」という問いを、都市の隅々で、建物の一室で、あるいは仮設住宅の中で繰り返している。そこで、もう一つの「箱」が登場する。

それが「コンテナ」だった
20世紀、マルコム・マクレーンによって世界に普及した海上コンテナは、貨物輸送の革命だった。物理的な距離を取り払い、グローバル経済を加速させたコンテナは、現代の「移動するインフラ」だ。だが、21世紀に入り、建築家たちはこの鉄の箱に別の可能性を見出し始めた。それは「建築の原点」への回帰とも言える。

最小限の囲い=箱の中に、最大限の自由を組み込むこと
人はこの閉じられた鉄の箱を、自分の住処に、仕事場に、時には夢の空間に作り変える。本来、貨物を封じ込めて世界を巡るために設計された容器が、逆に「個人的な宇宙」へと変容する。パンドラの箱が世界の絶望を解き放ったように、コンテナは逆に世界に点在する場所へ「希望」を運ぶ箱となるのだ。
私たちが「コンテナハウス」と呼ぶこの建築ジャンルは、表面的には規格化された産業素材に見えるかもしれない。しかしその本質は、規格のなかの逸脱、制約の中の創造性である。何もない鉄の箱に壁をつくり、光を開き、風を通し、人を招き入れる。
そしてあるとき、そこにデイサービス施設ができたり、移住者の家になったり、あるいは一台のフェラーリと対話するための静かな空間になったりする。
すなわち、コンテナ建築とは現代の「パンドラの箱」なのだ。だが違うのは、その中から出てくるのは「災厄」ではなく、あらかじめ設計された「希望」だということ。

もしくは自ら手を加えることで作り上げる希望、未完の建築、未完の自由
だからこそ私たちはコンテナを建て続ける。鉄の箱に、夢を詰める。そしてそれを、船に積み、トラックに積み、島へ、山へ、海辺へ運ぶ。「開けるな」と言われた箱を、私たちは今、意志をもって開ける。
そしてそのたびに、こう呟く。
この箱の中に、確かに「希望」は残っていたのだ、と。


記事の監修者

大屋和彦
九州大学 芸術工学部卒 芸術工学士
早稲田大学芸術学校 建築都市設計科中退。
建築コンサルタント、アートディレクター、アーティスト、デザイナー。