コンテナハウスコラム
四半世紀以上にわたり現場に立ち
研究し続けてきた私たちだから語れる
リアルな“コンテナハウスの深堀り話”です。
更新日:2025.06.01
コンテナハウスのデザイン
コンテナハウスの活用術
現代コンテナ建築研究所のサービス
コンテナハウスを30年研究し続けるということ
30余年間の研究
風を読み、鉄と語り続けること。ひとつの素材を30年見つめ続けるということ。それはもはや設計や施工の話ではない。哲学であり、信仰であり、祈りに近い行為だ。
「鉄の箱」という極限まで規格化された存在に、我々は問い続けてきた。この空間は本当に人を包みうるのか?この構造体は住まいとなりうるのか?
反復性と剛性を備えながら、柔軟性と自由も内包する存在――それがコンテナだ。荒々しいがゆえに繊細で、粗野に見えて洗練されうる素材。その多義性に、我々は魅せられてきた。30年の問いかけと応答の中で、建築はただの構築物ではなく、思想をかたちにする行為へと変わった。コンテナという素材は、その思想を受け止める器であり、風土を綴るページとなり得るのである。
コンテナハウスをシステム建築に昇華させる
コンテナハウスを「システム建築」に仕上げるということ。制約の中に自由を、寸法の中に思想を見出すことシステム建築とは、反復の中にある美しさであり、構法の中にひそむ詩である。「構成できる」ということは、単なる施工技術ではなく、建築思想の形式化にほかならない。思想を持った技術体系を創ると言うことだ。

輸送体系を建築言語へ翻訳すると言うこと
我々は、輸送用コンテナの寸法体系に準拠しながらも、それを建築言語へと翻訳した。溶接も、断熱も、積層も、連結も、ただのディテールではない。それぞれが「空間の文法」として機能し、建築を語る手段となって建築物に昇華されている。つまり、我々がつくるコンテナハウスは、工業製品ではなく、詩的な構文であり、方法としての思想だと言ってもいい。
我々が作った「3つの建築プロセス。取り組み方」
コンテナ建築における、3つの建築プロセスを作りました。選ぶことは、生き方を選ぶことに等しいです。
1|ONE OFF|舞台芸術としての建築

その土地、その人、その時間のためだけに設計される一度きりの演出。空間が俳優であり、観客であり、記憶の舞台となる。唯一無二のストーリーが、建築というかたちで顕れる。この建築は、風景と一体になって立ち現れる「場」である。二度と同じものはつくられない。それが、この建築の誇りであり、覚悟だ。
その分時間とコストもかかってくるが、作り出されるものは世の中に唯一無二だ。
2|ONE DESIGN|プロダクトデザインとしての建築

繰り返し使える美しい型を精密に設計し、量産可能でありながら、空間の質を妥協しない。量産の中にある個性、規格の中に宿る品格を備えたものを標準化する。プロダクトデザインの思想を建築に持ち込むことで、良質な暮らしを、広く公平に届けることができる。ケーススタディハウスから学び取った思潮をコンテナハウスに定着させた。IMCA_現代コンテナ建築研究所のボリュームゾンとなるべき事業中核となっていく。
3|MIKAN(未完)HOUSE|共創するインスタレーションとしての建築

完成を目的としない建築。それは住まい手の手によって、日々、変化していく「未完の詩」である。ここでは暮らすことが、創ることになる。床板を貼ることも、壁を塗ることも、庭を育てることも、すべてが建築の一部になる。設計者も施工者も、住まい手も、共にPLAYするインスタレーション。その途中経過こそが、最高の建築体験となる。「未完」であることは、未来への扉が開かれているということだ。建築の完成をゴールとせず、暮らしの中に延び続ける時間として設計する。それが、MIKAN HOUSE の核心である。
この考えは「建築をもう一度人々の手に」という気持ちもあったし、そうでなければならないとも思っていたからである。事実「創ることの最高の喜び」を思い出させる卓越の企画だ。そして最も人々に負担感の大きい「建築確認申請付」と言うのが最も新たな強みだ。
コンテナ建築という思想のかたちコンテナ建築は、もはや「箱」ではない。それは、選択の思想であり、構築の方法であり、そして、あなたの生き方に呼応する空間のかたちだ。

舞台芸術のように、ただひとつの物語を紡ぐ。
プロダクトのように、美と機能を両立させる。
インスタレーションのように、共に創り続けていく。
建築を、つくる。建築と、ともに生きる。そのいずれにも、あなたの選択が宿る「IMCA_現代コンテナ建築研究所」のコンテナハウス。



記事の監修者

大屋和彦
九州大学 芸術工学部卒 芸術工学士
早稲田大学芸術学校 建築都市設計科中退。
建築コンサルタント、アートディレクター、アーティスト、デザイナー。