コンテナハウスコラム

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更新日:2025.05.25

コンテナハウスのデザイン

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MIKAN(未完)HOUSEの衝撃

ある建築から、思想がこぼれ落ちた日

あの日、はじめてMIKAN(未完)HOUSEのプロトタイプに出会ったとき、私はひとつの建築が、これほどまでに「概念」として強く立ち上がてくることがあるのかと、静かに衝撃を受けた。それは建物であると同時に、「問い」だった。「完成とは何か?」「建築とは、どこまでが“設計”され、どこからが“生きられる”のか?」その問いかけは、派手さも気取りもなく、しかし強く、見る者の思考の奥を震わせるものだった。

MIKAN(未完)HOUSEと名付けられた理由 

この建築は、20フィートのHiCubeまたはLAYDOWN型モジュールを核にしながら、外部空間との接続──デッキ、庇、フェンス植栽、そして隣の小屋までもが、あとから付け加えられることを前提に設計されている。だから最初の状態は「完成形」ではなく、むしろ「種子」だ。そこには未完であることの潔さがあり、同時に、そこから何かが始まっていく“運動性”がある。「完成とは、人が使い始めたときに初めて訪れる状態なのかもしれない」この建築が放つメッセージは、明確だった。

MIKAN(未完)HOUSEは、建築確認済のセルフビルドモデル、という逆説

MIKAN HOUSEは、建築確認申請を取得済みの合法的セルフビルドモデルとして開発された。これは一見、矛盾のように思える。なぜなら、セルフビルドとは“自由”や“未確定”の象徴であり、建築確認とは“規範”や“確定性”の象徴だからだ。だが、この建築はその二項対立を軽やかに乗り越えている。MIKAN HOUSEの思想はこうだ。「制約の中にこそ、自由がある」「規格は、人を縛るためでなく、人を解放するためにある」。このパラドクスを体現している点において、MIKAN HOUSEは、日本の建築文化のなかでもきわめて稀な存在だといえる。

MIKAN(未完)HOUSEは一時的でも、仮設ではない

MIKAN HOUSEはモバイルではない。あくまで“定着型”の建築としての強度を持つ。だが、その表情は“仮設的”であり、“未完成”的である。それは、「終わらせない」という意志に満ちている。ここには、「家を買う」ではなく、「家をつくっていく」という思想がある。それはきっと、家づくりを「行為」として再び手元に取り戻そうとする、現代の人間への静かな呼びかけなのだ。

MIKAN(未完)HOUSEの衝撃とは何だったのか?

それは「形」ではなく、「姿勢」に宿っていた。あらゆるものが商品化・完結化されていくこの時代に、あえて「未完」のまま差し出される建築。そこには、住まいを“再び開く”ための哲学が刻まれていた。完璧な空間ではない。だからこそ、使い手の余白が入り込む。その余白にこそ、暮らしの創造が芽吹く。それは建築の“設計者”が、完成形を与えることを放棄し、“住まい手”を真の意味で共同設計者として迎え入れるという、思想的転回だった。

「未完」であることの可能性

MIKAN HOUSEは、ひとつのプロダクトであると同時に、「未完であることを恐れない思想」のマニフェストでもある。それは建築における“完成至上主義”への静かなアンチテーゼだ。私たちの生はつねに「途上」にある。だったら、建築もまた、「完成されたもの」ではなく、「関係性が変化し続ける場」であるべきなのかもしれない。

終わりに:始まりのかたちとしてのMIKAN(未完)HOUSE

MIKAN HOUSEは、完成ではなく始まりのかたちをしている。そこには定義された“正解”がない。あるのは、「ここから何をつくっていくか」という問いだけだ。だからこの建築に出会った人は、おそらく皆、少し戸惑い、けれどその奥に、静かに心を動かされるはずだ。それこそが、「未完の衝撃」なのだと思う。

記事の監修者

大屋和彦

大屋和彦

九州大学 芸術工学部卒 芸術工学士
早稲田大学芸術学校 建築都市設計科中退。
建築コンサルタント、アートディレクター、アーティスト、デザイナー。

1995年よりコンテナハウスの研究を開始。以後30年間にわたり、住宅、商業施設、ホテル、福祉施設など300件以上のプロジェクトに携わる。特にホテルをはじめとする宿泊施設型コンテナハウスの設計・施工に圧倒的な実績を誇る。商業施設、住宅分野にも多数の実績があり、コンテナハウス建築業界で幅広く活躍している。