コンテナハウスコラム

更新日:2025.04.27

コンテナハウスの歴史

第2回コンテナハウスの歴史(全10回)黎明期(1990年代〜)|法の壁と実験的試み


第2回:黎明期(1990年代〜)|法の壁と実験的試み
はじめに:コンテナに夢を見た時代
1990年代初頭、日本の建築界は大きな転換期を迎えていた。
バブル経済崩壊後、都市部を中心に不動産価格が暴落し、人々は「大きく立派な建築」から「小さくとも賢い建築」へと価値観をシフトし始めた。
そんな中、海運用の中古コンテナに目を付けた建築家たちがいた。
規格化され、頑丈で、どこにでも運べるコンテナは、彼らにとって自由で、実験的な素材に見えたのだった。
しかし、彼らを待ち受けていたのは、厳しい法規制と建築業界の慣習だった。コンテナの箱の様な作りはなかなか建築には存在しない。コンテナはその「鉄板の壁」が構造体なのだ。それゆえ、建築的な構造解析が不可能だった。この時代を生きてきた挑戦者たちの試みは、今日のコンテナ建築ブームの礎となったのである(いや、そうだったのは事実だが、そんな事があったのはほとんど誰も知らない事実だ。)

建築確認申請を通した「コンテナ建築」の第一号と思われる「ラーメン構造」のコンテナ


1. バブル崩壊と新しい建築の模索
1980年代末、日本はバブル経済の絶頂にあった。巨大な開発プロジェクトが次々に進行し、高層ビル、リゾート施設、ニュータウンが建設ラッシュを迎えていた。しかし1991年、バブルは突如弾けた。地価は下落し、企業倒産が相次ぎ、建築市場も一気に冷え込んだ。この状況下で、資金力の乏しい若手建築家たちは、「最小限のコストで、最大限の空間体験をつくる」というテーマに向き合わざるを得なかった。中古コンテナは、そんな彼らにとって、実に魅力的な素材に見えたのだった。事実「コンテナの達人=大屋和彦」」のコンテナ研究もここから始まった。安価で手に入る・サイズが一定(ISO規格)・海上輸送用なので頑丈・自由に運搬・組み合わせ可能・まさに「移動する建築」、まるでメタボリズム建築としての可能性が、そこには見えたかに思えたのだ。


2. 法の壁:建築基準法のもとで
だが、建築家たちが直面した最大の障壁は、建築基準法という巨大な制度だった。
建築確認の壁
建築基準法によれば、「建築物」と認められるためには、しっかりと地面に固定され(基礎が必要)各種構造強度(耐震・耐風等)を満たし防火・避難等に配慮され用途地域・容積率などに適合していることが求められた。


しかしコンテナは、もともと船積み用に作られたものであり、これらの要件を満たす設計(特にその材料規定と構造に関する計算方式、溶接方式)にはなっていなかった。特に問題になったのは、耐震性能の保証がない(鋼材がJIS鋼材ではないので保証データがない、構造形式が計算される状態になってない)。基礎が存在しない(基礎は作ればいいのだが、緊結がうまくいかない)。といった点である。


仮設扱い vs 恒久建築
このため、当時の多くの自治体は、コンテナを「仮設物」としてしか認めなかった。仮設ならば一時的な使用が許されるが、恒久的な住居や商業施設としては認められない。建築確認を取ろうとすれば、膨大な書類、設計変更、そして何より役所との交渉が必要だった。こうして、コンテナ建築は「脱法的存在」あるいは「グレーゾーンの建築」として、ひっそりとアンダーグラウンドで始まることになる。仮設建築物として確認申請を取ることも現在では難しい。安全を担保された情報(証明する根拠)が何もないからである。

3. 実験的試みたち|リアルな事例とエピソード

この黎明期においても、諦めなかった建築家たちがいた。彼らは、規制の隙間を縫いながら、実験的なコンテナ建築を次々と生み出していった。
基本的には「4号建築」と言われるジャンルの建築では、図面として報告する内容が少ないので建築確認申請を「ISOコンテナ」で出しても「鉄骨」ということで出せば審査は通るからだ。ただし、完了検査を受けるとしっかりと内容を追求されると「完了検査には通らない」という結果になる。この時代「完了検査」を受けないまま「使用する」という、「現代では通用しない」グレーな方法で実験的コンテナ建築を作っていたのだ。ただし、それは「しっかりと建築基準法を通せる状態にするための研究」というつもりではあったと思われる。

エピソード
役所の建築指導課は「建築ではなく出店扱い」として、設置を認めた。だが、地元住民から「景観破壊」として反発も受け、オープンから半年後に自主撤去となった。この事件は、当時の地方紙でも取り上げられ、「コンテナ建築の賛否」が議論された最初期の例でもある。こうやってグレーな時代はしばらく続いたが、それではダメだと「王道をいけるコンテナ建築」を目指す者たちもいたのだ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA



4. 技術的課題と、その克服への試行錯誤
黎明期には、多くの技術的問題が発覚した。
結露問題
金属製コンテナは、外気温差により内部結露が起きやすい。これによりカビ発生、鉄板腐食が頻発した。この解決法は「現場発泡ウレタンフォーム発泡吹付」が隙間を作らないので最も優れた解決策となっている。
断熱不足
住宅利用に必要なレベルの断熱性能を確保するには、内側に断熱材(ウレタン吹き付け)をしっかり施行する必要があるが、今ではそれは「常識化」されて解決している。さらに外壁に「遮熱塗装」という手段も生まれている。
耐震補強
単体コンテナでは十分な耐震性能を発揮できず、鉄骨フレームの追加補強、またはコンテナ同士の連結剛性アップが求められた。これは元々「輸送用コンテナ」は溶接方式が「すみ肉溶接」方法しか取っておらず、ラーメン構造でもなく、「鉄板による壁構造」であったので「開口部」などが取れない構造体だった。その解決はしっかりした柱と梁で「ラーメン構造化」する方法がデベロップやIMCAの先進的コンテナ建築推進派が取った手法であった。
基礎設置
単なる置き設置では建築物と認められないため、RC基礎、杭打ち、アンカー固定などが試みられた。これらの「発見と失敗」が、次世代の設計・施工技術の礎となったのである。アンカー自体は大きな技術的問題はないのだが、コンテナの「柱脚」部分に「アンカー」を取るためのアンカーホールを、輸送用のコンテナには必須の輸送用固定部との両立が難しく、この解決にデベロップやIMCAは「特許」をとって進めている。これを特許を知ってか知らずかに「模倣」しているコンテナ制作会社もあり「爆弾」を抱えたままにはなっている。


まとめ:黎明期は「個人と法制度の格闘」の時代だった
1990年代、コンテナ建築の挑戦者たちは、法制度という巨大な壁に向かって、一人ひとり戦っていた。
そこには、今のような「ガイドライン」も「認可モデル」も存在しなかった。
その様ななか、建築基準法をクリアするスペックを持ったコンテナの開発をしてきたのが「デベロップ」と「IMCA」という先駆者達だった。

自治体と粘り強く交渉し
現場で創意工夫を重ね
ときにはリスクを負って設置し
社会に問いを投げ続けた
その積み重ねが、やがて小さな潮流となり、
21世紀初頭にコンテナ建築がそのスペックを向上させ「建築確認取得」を勝ち取る原動力となる。
黎明期とは、法に挑み、常識に挑み、未来に挑んだ、デベロップとIMCAの物語である。

初めて建築確認申請を正式に通した「ラーメン構造」の建築用コンテナ