コンテナハウスコラム
更新日:2025.04.26
コンテナハウスの歴史
コンテナハウス講座(初級)
第1回、日本のコンテナハウスの歴史_全10回。1/10_CAOSからの出発。
『日本のコンテナハウスの歴史』10回連載企画。の第1回。1/10
建築業界における貴重な知見を広く伝える、誰にも書けない「日本のコンテナハウス」の歴史。まさに“永久保存版”のコンテンツです。実はこんなCAOSからスタートし、デベロップの岡村隆史や、紆余曲折ありながらもIMCAの大屋和彦が作り上げた着地点として、現代の洗練された「コンテナハウス」が生まれてきたのだ。ということを書けるのは、当事者の私だけなのです。ではそのモノガタリをご確認ください。
10回連載を構成するための「全体設計」 想定される全10回のテーマ(初期候補)を期しておきます。
書き始めたら途中でシラバスは変更するかもしれません。
第1回:序章|日本におけるコンテナ建築のはじまり。1990年代以前
第2回:黎明期(1990年代〜)|法の壁と実験的試み
第3回:突破口(2000年代前半)|建築確認取得の実例と技術解説
第4回:事例集①|初期の建築コンテナプロジェクトたち
第5回:設計と構造の革新|耐震・断熱・構造フレームの進化
第6回:事例集②|地方発・商業用/公共用プロジェクトの広がり
第7回:制度との対話|建築基準法・行政との交渉のリアル
第8回:市場の変化|「住まい」としての認知とメディア掲載
第9回:現在地|2020年代のトレンドと課題
第10回:未来展望|モジュール建築・災害住宅・都市とコンテナ
第1回:序章|日本におけるコンテナ建築のはじまり。1990年代以前 40年ほど前の時代。コンテナ建築 前夜ー「混沌(CAOS)」の時代「 誰も“建築”と呼ばなかった鋼鉄の箱たち 」
■ 1990年以前。 この時代コンテナは海洋輸送の面では「世紀の大発明」だったがコンテナハウスの世界ではただの「道具」だった。
今でこそ「コンテナハウス」という言葉が一定の認知を得ています。しかし、1990年代以前、日本におけるコンテナの認識とは、ひと言で言えば「貨物を運ぶための鉄の箱」だった。もっと平たく言えば、「港に転がっている中古の箱」であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
それが、いつしか「建物の代用物」になり、果ては「建築物」へと昇華していく——そのプロセスには、いくつもの偶発的な発見、試行錯誤、あるいは明確な目的を持った研究行動、そして行政とのせめぎ合いがあった。
この章では、そうした“はじまり以前”の混沌とした時代、誰もまだ「コンテナを建築にしよう」などとは考えていなかった、ある意味で自由奔放な時代の空気をたどってみたいと思います。
■ 港の余剰物という位置づけ
海上輸送が高度成長期(そんな時代もありましたね)の物流を支え始めた1970年代以降、日本の主要港湾には大量のISO海上コンテナが持ち込まれた。その数が増えると、当然のように「使い終わったコンテナ」の処分が課題になる。
ただしこの「処分すべき鉄箱」が、実は非常に丈夫で、雨風に強く、ある程度の耐候性も持っていることが、自然と港湾関係者の間で知られていく。
その結果、次のような“勝手利用”が各所で始まる。
⚫️港湾作業員が自分たちの休憩所として使用
⚫️倉庫の中で工具や部品の収納場所に転用
⚫️トラック業者が資材置き場としてコンテナを使用
この段階では、いかなる行政の許可もいらなかった。なぜなら「建築物」ではなかったからだ。
■ プレハブより安く、頑丈な“物置小屋”
1980年代に入ると、中古コンテナを個人や中小事業者が手に入れて、作業小屋・農機具倉庫・釣り小屋・現場事務所として使う流れが広がる。
このころのコンテナ使用に共通していたのは、
・仮設扱いであること(法的に建築物でない)
・地面に置くだけ(基礎工事などしない)
・外装もそのまま(錆びや凹みも味)
・内装も最低限(断熱材なし、電源引込のみ)
つまり、建築的とは言いがたい「用途変更」だった。しかしながら、耐久性やコストパフォーマンス、設置の簡易性から、
“プレハブよりも便利で、でも建築ではない”
という中間的な位置づけが定着していく。
■ 規制の網の“外”で生まれた自由
この時代の特徴は、とにかく「自由」だったことだ。たとえば地方の海沿いや山間部、川沿いの釣り場では、個人所有の中古コンテナがずらりと並んでいた。行政の目が届かない土地では、勝手にコンテナを持ち込んで「自分の城」をつくる人も現れた。中に畳を敷いて布団を置き、“隠れ家”に、コンロや冷蔵庫を持ち込んで“なんちゃって別荘”に、車庫代わりにして車を収納する猛者もいた。
こうした利用法は当時、都市計画法や建築基準法とは無縁の、まさに“法のグレーゾーン”にあった。
■ 商業的利用のはじまり:バラックからBOXへ
1990年代の初頭、コンテナ利用がさらに広がったのが、仮設店舗・屋台・簡易カフェ・個室カラオケといった用途である。
この時期、地方の国道沿いや郊外エリアでは、次のような光景が珍しくなかった。
駐車場の一角に置かれたコンテナが“うどん屋”に
ガソリンスタンドの裏で“立ち飲みBAR”に
夜の国道沿いに並ぶ“カラオケBOX”は、まさに20ftの連結コンテナ
ここに登場するのが、いわゆる*「カラオケボックス黄金時代」*の幕開けだ。
(今や知るものも少なくなっただろうが、カラオケボックスというのは「コンテナ利用」から始まったと言っても過言ではない。しかも「カラオケ」は日本の発明ですから、日本だけの現象でした)
複数の中古コンテナを並べ、それぞれに防音材と照明・エアコンを取り付け、独立したカラオケ空間として販売・レンタルするビジネスが急増した。
■ しかし、これは「建築物」ではないと主張されると、それがまかり通っていた。
重要なのは、ここまでのすべての事例が、建築物として認可されたわけではなかったという点だ。
多くは以下のような工夫で当時の“建築基準法の網をすり抜けていた”。
アンカー固定を避けて「移動可能物」と主張、設置日数を制限して「仮設物」として届け出、
道路使用許可申請で対応、賃貸物件や遊休地上での“短期興行物”扱いするなどの対応をしていた様です。
今でも「サーカス」などの興行のためにその道具などを「コンテナ」で運び、コンテナを使って、敷地の境界を作ったりしますが、これは今でも合法です。
つまり、制度的には“建築物未満”。だが、見た目や機能性は「もうすでに小さな建築」であった。
この制度とのズレ=ギャップの存在が、「コンテナなら基礎もいらないし、建築物じゃないよね」という認識の中、やがて真剣な「コンテナを建築にするにはどうしたらよいか?」というコンテナそのものを中心発想とした考えを形成、生成するのは、もう少し先の時代であった。
また、行政側も「建築物として扱うのか」「そうではないのか」の線引きを国に委ねながら、その結論を待っていた時代である。
■ 混沌(CAOS)の中で育まれた感覚
この混沌とした黎明以前の時代には、法的な枠組みも、設計の規範もなかった。それゆえに、以下のような自由で荒々しい創意工夫が花開いていた。トラックごとコンテナを載せて「移動式住居」に上に屋根をつけて2階建て風に仕立てる。内壁に杉板を貼って「和風茶室」として使用、断熱材代わりに新聞紙を詰め込む。
もちろん、現代の安全基準からすれば到底認められないレベルの施工も多々あった。だが、そうした「失敗」と「工夫」の蓄積が、のちの『建築用コンテナというジャンルが生まれていく背景』になっていくことになる。
■ 終わりに──「建築ではない建築」からの出発
このCAOSな時代を一言でまとめるならば、「建築ではない建築」たちの群像劇であったと言えるだろう。そして、この時代にロジスティクスの世界を「地球規模」で築いてきた『コンテナワールドの本当の凄さ』という存在に気付き、惚れ込み、「これを本当に建築物として社会に出すにはどうしたらいいか?」と問い続けた人間=わたくしども(株式会社デベロップの岡村隆史、株式会社IMCAの大屋和彦)がいた。私どもはやがて、行政と交渉し(確認し合い)、構造設計と戦い(ISOコンテナ方式での解析は困難)、行政も認める事ができ、構造解析もできる構造体の『新造の建築用コンテナ』という「新たな建築のジャンル」として「モジュラー建築」なのだが「コンテナ輸送網」を使う事が出来る「コンテナ建築モジュール」を作らねばならないという答えにたどり着くことになる。
実はこういうプロセスを辿っていることを、現在なんとなく「建築用コンテナでなくては建築に出来ない」と認識しているコンテナ建築屋たちは、我々のまねごとで初めているから表面上をなぞっているだけでなので、デティールは知るよしもなく、時々ボロが出る。
次章では、そうした挑戦が制度の壁とどう向き合い、いかにして「建築確認を通す」という壁を越えたのか、そして目指す「世界のオープン部品としてのロジスティクスア-キテクチャへの昇華」への道はどうなるのかを詳述していきたい。
第2回:黎明期(1990年代〜)|法の壁と実験的試み
第3回:突破口(2000年代前半)|建築確認取得の実例と技術解説
第4回:事例集①|初期の建築コンテナプロジェクトたち
第5回:設計と構造の革新|耐震・断熱・構造フレームの進化
第6回:事例集②|地方発・商業用/公共用プロジェクトの広がり
第7回:制度との対話|建築基準法・行政との交渉のリアル
第8回:市場の変化|「住まい」としての認知とメディア掲載
第9回:現在地|2020年代のトレンドと課題
第10回:未来展望|モジュール建築・災害住宅・都市とコンテナ
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