コンテナハウス施工事例
更新日:2025.06.01
住宅
離島建築
沖縄・久米島のエッジに建てる「ときの建築」
もくじ
火山の記憶と花の島に建てる、DUALCORE_HYBRIDのアーキテクチャー
火山の記憶と花の島に建てる、DUALCORE_HYBRIDのアーキテクチャー
沖縄本島から西へ約20キロ。静かな海を渡った先にある、そこは「時間の島」と呼びたくなる場所だった。

島に着いてまず感じたのは、時計の針の速度が変わったことだ。速くも遅くもない。ただ、違うリズムで刻まれている。目に映る風景――野生のハイビスカス、赤瓦の古民家、長く伸びる影の向こうのサトウキビ畑。そして風の音が、音楽のように空間を満たしていた。この島に建てたのは、単なるコンテナハウスではない。私たちが十年以上かけて研究してきた「コンテナという思想」、そのひとつの結晶ともいえる建築だった。

「パッケージディール」方式
名を DUAL_CORE_Hibrid_ Kumejima_Villa という。
2つのコンテナを空隙を開けて設置し、その間も鉄骨で繋いで室内にする。それらの部材は両サイドのコンテナに内包して運び現地で拡張させるという「パッケージディール」方式のリリースでもあった。

ときの器
その構造は、DUALCORE_HYBRID。工業的規格と鉄骨建築の自由さ、その両極を内包するハイブリッドな建築方式。金属の箱と鉄骨部材、構造体と空隙、思考と感性。そのあいだに生まれる緊張と緩和こそが、この場所にふさわしい建築の姿だと私たちは信じている。これは、ただの別荘ではない。島の記憶を媒介する、「時間の器」なのだ。

「Hi-Cubeは運べません」から始まった設計
建築は、夢からではなく、現実から始まる。通常、コンテナハウスで用いられる規格は「Hi-Cube」と呼ばれるものだ。高さ2.9メートル。天井高が確保できることで、冷暖房効率にも優れ、室内に閉塞感を与えない。
しかし、この島にはHi-Cubeは運べなかった。久米島行きのフェリーには、全高2.9メートルの貨物は積載できないのだ。最大でも「Normal Height」、つまり高さ2.6メートルの20フィートコンテナが限界。わずか30センチ。だがその30センチが、空間の意味を根底から揺るがす。選択肢は2つあった。設計を変更するか、プロジェクトを諦めるか。私たちは選んだ。制約を、「詩」にすることを。

「構造を隠す」のではなく、「構造を詠む」
DUALCORE_HYBRID構法は、工業規格のコンテナを2基並列に配置し、そのあいだに鉄骨のエクステンション(増築部分)を挟み込む。コンテナが「核(core)」、エクステンションが「膜(skin)」となり、全体としてひとつの「呼吸する空間」が立ち上がる。この建築では、あえて梁を「現し」にした。鉄骨の骨組みを隠すのではなく、見せる。美しさと機能を兼ね備えた構造が、そのまま空間の詩になる。鉄骨の無骨なあたたかさが、鉄の冷たさを包み込む。屋根は沖縄の風に呼応し、雨音が天井にリズムを刻む。

高さが2.6メートルしかないという「狭さ」は、梁を低く見せることで逆に奥行きを強調する。「広さ」は、面積ではなく知覚によって決まる。数字で換算できない、空間の手応えがそこにあった。

「球美(くみ)の島」と呼ばれたこの土地は、火山活動によって生まれた
歴史と未来が交差する、「山の島」久米島は、沖縄の中でもとりわけ「歴史の層」が厚い場所だ。かつて「球美(くみ)の島」と呼ばれたこの土地は、火山活動によって生まれ、サンゴ礁とともに育ち、琉球王朝時代には特別な交易拠点とされた。泡盛の原型とされる「久米仙」、唐芋の文化、紬(つむぎ)の織物。どれもが、ここにしかない時間の厚みを持っている。
ふと立ち寄った集落の裏庭で、100年前の石垣に触れたとき、建築とは「時間に立つもの」だと再確認した。

そして、私たちの建築もまた、この時間のレイヤーにひとつの「声」を重ねようとしている。
「時間を使う建築」から、「時間とともにある建築」へ

このヴィラの設計において、私たちは「住まう人」が主語になることを避けた。代わりに主語になったのは、「時間」である。たとえば、寝室の窓は東を向いている。朝日が山の稜線を越えて差し込む時間を計算した高さに、枠を設けた。キッチンの小さな窓は、午後の3時ちょうどにテーブルを照らす光を受けるよう設計されている。デッキからは、満月の夜、月の道がちょうど正面に現れる。これらは偶然ではない。この建築は、時間の流れに身体を預けるための装置である。この建築は「完成」を前提としない。私たちは、建築とは「使われ、変わり、風化していく」ものだと考えている。

このヴィラも、住まう人や訪れる人によって、少しずつ姿を変えていく。壁に絵が飾られ、椅子の位置がずれ、雨の跡が木材に染みとなっていく。そうしたすべての変化が、建築を「完成させる」。完璧であることよりも、余白があること。固定されているよりも、動的であること。未完であることが、この島の「生きている時間」とつながっている。いつもそこは当社の考える建築の姿だ。
建築は、「島からの返歌」である

風景に詩を捧げるのではなく、風景から返ってきた「声」を建築にする。この島が私たちに語ったのは、「遅さ」と「余白」の価値だった。それは現代都市が失ってしまったものだ。建築が与えるべきなのは、便利さや効率性ではなく、「呼吸のための空間」ではないか。久米島のこの小さなヴィラは、ひとつの「返歌」だ。海からの風、遠くのカンムリワシの声、木々の揺れる影、そのすべてに耳を澄ませながら、ただそこに「ある」ことの意味を問うている。建築は、ときに問いであり、ときに贈りものでもある。

この場所を訪れるすべての人にとって、この「未完のヴィラ」が、時間の中に自分自身を見出す静かな装置となることを、私たちは願っている。



