コンテナハウスコラム
更新日:2025.04.27
コンテナハウスの歴史
第3回(全10回)コンテナハウスの歴史:突破口
第3回 突破口(2000年代前半)|建築確認取得の実例と技術解説
【イントロダクション】1990年代から続く挑戦と、突破の兆し

1990年代、日本においてコンテナ建築は、まだ“仮設建築”というイメージを脱しきれなかった。ISOコンテナの無骨な鉄のボディは、「頑丈な箱」という認識のもと、多くの設計者やクリエイターたちに「居室として使えるのではないか」という夢を抱かせた。しかし、その夢は長らく“グレーな建築物”としてとどまり、正式な建築確認申請を通すことは極めて困難だった。いや、もう少し正確に書くと「鉄骨造として申請を出せば、図面上ではISOコンテナであっても図面では判断できないので、建築確認申請は通せる」のだが、完了検査の時に材料規定に合わないISOコンテナとわかるので、完了検査を受けられない。あるいは受けずに使うということが裏の世界では常套化していた。つまり不法状態である。

「コンテナで家を建てたい」「コンテナでカフェを開きたい」――。
そんな奇特な願いを持つ依頼者たちも存在したが、当時の建築業界はそれに応える準備が整っていなかった。
だが、2000年代に入ると、社会情勢も変わり始めた。
都市再開発ブーム、仮設から恒久への需要シフト、そして建築基準法の改正(1998年施行)によって、建築物に求められる「安全性」と「正規ルートでの確認申請取得」が、これまで以上に厳格に問われるようになった。
コンテナ建築にとっては、苦難であると同時に、新たな突破口を開く絶好の機会だったのである。

【第1章】
建築基準法第37条「材料規定」とコンテナの壁
コンテナ建築を本格的に社会に認めさせるために、最初に立ちはだかったのは「材料規定」という見えない壁だった。
建築基準法第37条――。
それは建築に用いる材料について、明確な品質基準を定めたものである。
(要約)建築基準法 第37条(建築材料の品質)
建築物の主要構造部等に使用する建築材料は、政令で定める基準に適合する品質でなければならない。必要な場合、国土交通大臣が定める認定を受けることができる。
つまり、建築に使われる材料は、原則として「JIS(日本工業規格)」や「JAS(日本農林規格)」に適合する品質が求められる。さらに、それらに適合しない場合は、「大臣認定」を個別に取得する必要がある。

ISOコンテナは、国際輸送のために設計された強靭な箱である。しかし、それはあくまで「国際規格」に基づいて作られたものであり、日本の建築基準法が求める「建築材料」としての基準とは一致していない。特にコンテナに使用されている鋼材は、日本の建築基準法上の規定(JIS規格鋼材)には合致しないことがほとんどだった。
結果、ISOコンテナを「建築物」としてそのまま用いることは、法的にはきわめて難しかったのである。
わかりやすく言えば「頑丈に見えるかどうかではない。材料の性能を法で保証できるかが重要なのだ。」
ということだ。
ISOコンテナは、確かに輸送用としては十分すぎる強度を持っている。だが、それを建築確認の世界に持ち込むには、「感覚的な安心感」ではなく、「法的な品質保証」が必須だったのである。

【第2章】コンテナの達人・大屋和彦の決断―「建築的コンテナ」への挑戦
2000年代初頭、日本で「コンテナ建築を本気で合法化させよう」と考えた設計者たちがいた。
そのなかでも特に異彩を放った存在が、大屋和彦である。彼は「ISOコンテナをそのまま建築物に使おう」という試みが、法律上の壁に阻まれる現実を、誰よりも早く受け止めた。そして、下した決断は単純だった。
「ならば、建築基準法に適合するコンテナをゼロから作ればいい」という発想である。それは当時のコンテナ建築界では異端とすら言えた。周囲のISOコンテナ支持派たちからは、時に揶揄された。「あんなのコンテナじゃない」「ただの鉄骨箱だ」。だが彼は折れなかった。むしろ、彼の挑戦はより精密なものだった。
大屋和彦が目指したのは、コンテナ物流の国際的レギュレーション(ISOの寸法、角部のコーナーキャストの強度など)と、日本の建築基準法(材料規定、耐震規定、断熱規定など)の両方をクリアできる「新しい建築用コンテナ」だったのだ。

そのために、以下の点を徹底的に設計し直した。骨組み(フレーム)にJIS鋼材を使用。板厚・断面性能を建築基準法上の数値に合わせる。溶接方法、ボルト接合部も日本の基準に適合。躯体耐力を建築構造計算で立証。断熱性能も居住建築物レベルに向上。つまり、見た目はISOコンテナに酷似していながら、「完全に建築基準法に適合する「建築用コンテナ」」を作り上げたのである。この大屋の設計思想は、のちにIMCA(現代コンテナ建築研究所)の理念として引き継がれていくことになる。
【第3章】コンテナハウスが持つ“新たな武器”とは
建築用コンテナの登場によって、コンテナ建築は単なる“仮設っぽい面白建物”ではなくなった。それは「世界に広がる物流ネットワークに適合した建築部品」として、新たな意味を持つようになったのである。つまり「国際間の海上輸送ができる」「陸送もできる」「鉄道輸送にも適合する」という、今までの建築物にはないムーバブルな特性を、標準仕様で備えたのだ。これがもたらす利点は計り知れなかった。地方や離島でも同じ品質の建築物を届けられる。工場生産と現場組立を最適化できる。海外展開の際も輸送問題がない。仮設住宅だけでなく恒久住宅、商業施設にも転用可能だ。

まさに、モジュール建築の理想像に近づいた瞬間だった。しかも、コンテナの魅力はそれだけではなかった。港に積まれた無骨な鉄の塊。荒涼としたロジスティクス基地の中に、無造作に置かれた箱。
そこに宿る“インダストリアルな美意識”。
それを感じ取る人々にとって、コンテナは単なる部材ではない。自らのアイデンティティ、人生観を映す“物語”だった。そんな“コンテナ好き”たちの想いもまた、技術とともに大切にされるべきだと、大屋和彦は確信していたのである。CONTAINER_LOVEが存在する。
【第4章】IMCA設立と、合法的コンテナ建築への道
大屋和彦の理念を形にするため、彼は自ら**IMCA(現代コンテナ建築研究所)**を立ち上げた。
その理念は明確だった。
「コンテナを建築の正規ルートで世の中に広める」そのため、IMCAは次のような厳格なルールを設けた。
当たり前ではあるが「全てのコンテナに建築確認申請を取得し、完了検査を受け検査済証を取得する」
設計図・構造計算書・仕様書をすべて整備する
施工マニュアルも独自に作成する
消防・行政とも事前に協議を重ねる
最初のうちは、行政側も「コンテナ?それ何ですか?」という反応だった。
役所窓口で説明するたびに、ISO規格の歴史、建築基準法との整合性を一から語らなければならなかった。
中でも象徴的なエピソードがある。「審査会にコンテナ住宅の1/10模型を持ち込んで、プレゼンした」
というものだ。役人たちは模型を手に取り、「なるほど、こういうものなのか」と感心したという。
こうした地道な交渉と説得を重ねた結果、徐々に各地でコンテナ建築の正式な建築確認取得例が生まれ始めた。
【第5章】制度を変えた“小さな勝利たち”
建築行政との対話を続ける中で、いくつもの“小さな勝利”が積み重なっていった。仮設扱いだったコンテナカフェが、正式な建築物と認定された道の駅にコンテナ型商業施設が登場し、公共建築として認可された。民間のガレージハウスやオフィスビルにもコンテナ建築が採用され始めた。
中にはこんな笑い話もある。
「最初はコンテナ建築に否定的だった役所担当者が、後にコンテナカフェの常連客になっていた」
それは、コンテナ建築が社会に受け入れられた証でもあった。

【まとめ】
未来への突破口は、こうして開かれた
一つ一つの小さなチャレンジ、
一つ一つの粘り強い交渉、
一つ一つの確かな設計と施工
その積み重ねが、今、私たちが当たり前のように目にする“合法的なコンテナ建築”の礎を築いたのだ。
突破口は、すでに開かれた。
次回はいよいよ、初期のコンテナプロジェクトたちを紹介する!
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